はじめに

蕎麦は好きだが、すすんで食べる程のものではなかった。それでも、東京で働いていた時分は「昼食や会社帰りに商店街の薮蕎麦で…」なんてことがよくあったのだが、山形にきてからは蕎麦屋でもおいしい中華そばを食わす店が多いので、蕎麦処だけに食べればおいしいとわかっていてもめっきり口へと運ぶ機会が少なくなってしまった。ところが先月、たまたま仕事絡みで関わった旅館の『新そばを食べる会』で食べた蕎麦がやけにおいしかった。や、蕎麦もツユも普通に「おいしかったです」なレベルで飛び上がる程おいしいとかいうものではなかった…なのだが、妙に後に引いたんですね。
そもそも、蕎麦ってのはネットリと歯に残る(と思いませんか?)、うどんや中華麺の小麦粉は歯につまっただの何だの言ってるうちに唾液でもって溶かされて、食後の割と早いタイミングでその気配を口の中から消してくれるが、蕎麦粉ってのは妙にいつまでもフワリフワリと漂ってるよう感じる。これがヘンに心地いい…散歩してるとつかず離れずついてくる猫のようでかわいらしくも思える。昼にすすった蕎麦が、1時間以上たってもまだ口の中に薄く存在してて「あ、何だアイツまだついてきやがってんのか」と思ったり、夕方頃になるとさすがに姿はなく「お、ちゃんと家に帰ったのか」なんて微笑ましく感じたりする。
まあ、蕎麦でもタネ物やカケだと話はちがうんでしょうが、もり蕎麦あたりだと食後の胸ヤケというのが全くない。何となく若い頃から引きずってる感覚だと、ある程度の胸ヤケや胃モタレを感じた時点で【満腹】と判断していたので、油気のないものはいくら食べても「なんか、物足りないんだよな…」なんて不足感があったのだが、それは若者だからこその判断基準であって、中年太りだのコレステロールという単語と仲良しになってしまった今となっては、捨てなきゃならない価値観だった事に気づく。
以前の感覚だと、もり蕎麦一杯で自分が【満腹】になれるとは微塵も思っていなかった…しかし、試しにとメニューに並ぶセット物や中華そばを無視し、断腸の思いでもり蕎麦のみを注文、ズズズッと平らげそそくさと店を後にする。裏路地を歩きながら考える「これで足りたか?夕飯までもつか?」まあ【満腹】にまでは届いてない気がするが、小麦粉モノとはちがった蕎麦粉特有の重みがあり「食べた!」という実感はしっかりある。そして、何より気分がいい!胃モタレが全く無いし、ゲップも出ない、口の中には猫の香…もとい!蕎麦の香りがフワフワ…今までの自分の食後の状態と何とちがうことか!同じ値段だからと、中華そばを注文しスープまで全部飲み干してたら、今頃お腹をさすりながらゲップして「空腹もつらいけど、満腹もつらいのよね…」なんてつぶやきながら(実際このセリフをボクはよく口にしていた)歩いていたにちがいない。確かに、油っこいもの・味の濃いものを食べる時、ひと口目のインパクトは素晴しく「ムハーッ!」と叫び出したい程の幸福があるが、食後は燦々たるものだ…そう考えると、蕎麦食いも悪くないな…四十代を前にしてやっとそんなことに気がついた。
蕎麦の中毒性について噂は聞いていたが、上に書いたような理屈が自分の中で出来上がった頃には、どうにもこうにも蕎麦を欲する身体になってしまっていた。中華そばをチュルチュルとすすりたい!とか、揚げ物をサクサクと咀嚼したい!みたいな今まで好きだった食事に対する欲求とは全くちがう「食後のあの余韻…あの状態になりたい!」と、予想外のモノを欲してる自分に気づき唖然とする…これは食欲の範疇の話なのか?それとも、気づかぬうちにボクは変な次元に入り込んでしまったのだろうか?
今まで「蕎麦好きな人って多いよなあ」と思い、それを解読しようと蕎麦について書かれた本やエッセイなど目につくものはそれなりに読んだが理解には至らず…いや、蕎麦のコシとか、ツユの深みの素晴しさは確かにわかるが、同じ値段の中華そばに比べると、あまりに無骨な…シンプル過ぎるような気がしてならなかったのである。「自分にはわからない世界なのかしら」そう思い込んでいた所に、降って湧いた「食後のあの余韻…あの状態になりたい!」という、おかしな価値観。だが、ボクは確かにそれに捕われ、こうして今日も蕎麦を食べようと今まで中華そばの為に通った店を、巡り直しているのだ(いや、この作業が実に楽しいのよ!
そんなわけで『山形きそば消化機構』というカテゴリで、自分の日記blogの中に綴っていたものを独立したblogとして立ち上げてみようと思います。いつ飽きてコッテリの国へと帰っちまうかわかりませんが、しばしおつき合いのほどを

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